作品と接し方

おはようございます。カーテン閉め切ってるから、外の様子が分からない。

 

何か、急に近くで工事が始まったせいで、朝早く起こされてしまった。これはこれで、と思いながら動画を見ながら頭が覚醒するのを待ってたら、いつも起きるくらいの時間になってしまった。動画見てると、時間経つのあっという間ですね。さっきまで9時だったのに、気付いたら11時とかやばすぎる。睡眠とかいうコスパの悪い回復行動を消し去りたい。睡眠の6時間を趣味に注げたら、もっと素晴らしい一日が送れるはずなんだ。

 

そもそも、世の中に気になる作品が多すぎるんだよな。ゲームとか小説は、明らかに時間が足りないわ。映画は、どれだけ長くても三時間に収まるから非常に良心的。積みに積みまくった作品に触れている間にも、また新たな作品が続々生まれている。なんと恐ろしい…。これだけで一生過ごせる。今ですら時間が足りないのに、これ以上自分の時間が奪われたら発狂するしかない。ゲームをする自分、映画見る自分、小説を読む自分が欲しい。あと、ぼんやりインターネットとツイッターを徘徊する自分。一人で全部背負うのはしんどい。情報があまりにも多すぎて、すでに人一人の手に余るものになってる気がする。いや、ずいぶん昔からそうなってたんだろう。気づくのが遅すぎた。

今まで膨大な数の動画を見てきたけど、一個一個に対して熱を持って臨むことがないから、動画はカテゴリとして面白いという感じ方になるなあと、ぼんやり思った。映画だったら映画→SF→ブレードランナー みたいな感じで作品名まで行くんですけど、動画は動画→ゲーム実況 くらいで終わっちゃう。あの投稿者のあの動画はねえ! みたいなところまでは行かないんですよね。このカテゴリの動画面白かったなあって見返して思うことはあっても、特定の動画だけ挙げるのはなかなか無いと思います。これは、あんまり共感を呼ぶ考え方じゃない気がするな。これをうまいこと伝える思考が備わってない。

 

だんだん、作品への接し方が分からなくなってきたな。いろんな作品に触れて生きていきたいという思考すら、人によっては嫌悪、侮蔑すべきものだと思ってるかもしれない。あんまり、義務感に駆られながら作品に触れるのはよろしくないのは確か。もうすぐお前の時間は消えてなくなるという世間様の御声からは耳を塞いで、目の前の作品にだけ集中しましょう。思考は鮮度がすぐ落ちるから、これも明日には忘れてしまいそうだな。今の思考をスクショしたい。明日になったら別人になってしまう。明日の私が、今日と同じ思考を持った人間であることを祈りながら寝ます。おやすみなさい。

 

今日のご飯 てりやきマックバーガー