Self-Reference ENGINE、無数の点と  

おはようございます。変わらぬ気だるい暑さが時を止めたかのようです。

 

ようやくSelf-Reference ENGINEを読み終えました…。この本は、今まで読んだ本の中でもかなり難しい部類だと思います。文体、構成、内容。どれをとっても疑問符を浮かべずにはいられないものでした。しかし、クスっとくるような場面や、SFらしい展開に思わず読む手が止まりません。何とも不思議な作品です。これから、読んだままの感想を書いていくわけですが、もちろん感想というからにはネタバレというものは付き物でして、その点はご寛恕願います。

 

最初のプロローグからすでに怪しい。こう言ってしまうと失礼に当たるかもしれないけれど、まどろっこしい文章が連なっています。これが最初の話でいいのかと思うような、始まるのか始まらないのか、あるいはそもそも始まりなんてものが果たして存在するのか、もし始まりがあったとして何をもって始まりとするのか…。みたいな感じで始まっていくわけです。私の読解力が不足しているなら、それはもうそうなんだとしかいいようがありません。読むことは始まりなんだと仮定しておきます。

プロローグが終わると第一部、第二部と続いていきます。ただ、本作は打たれた数字がそのまま時系列になっているとは限りません。一応、話自体は繋がってなくもないけれど、直接繋がっているわけでもありません。これは、読んでいただけたら分かると思います。少なくとも、フロイトの話が全体の物語に繋がっているとは思えません。何だったんだあの話は。フロイトについては、後で触れるのでとりあえずおいておきます。本作の物語は、線というより点です。これを繋げるのは作者というより、読者側の視点によるものなのかなと思ったり思わなかったり。難しいですね。

 

最初に出てくるリチャード、ジェイムス、リタが一応メインキャラクターってことなんでしょうけど、各話に出てくる人たちがある意味彼らではないので、でも彼らともいえる存在だし…。そんなわけで、キャラクターというよりエピソードに焦点を当ててみる必要がありそうです。最初の「Bullet」では、銃弾が未来方向から発射されるとか、時間逆方向に頭が弾けるとか、さも当然のように特殊な方向の描写があります。時間や次元が基盤になっているんだなと思ったあなたは鋭い。多分、そうだと思います。

Bulletの話が一旦の区切りを迎えたと思えば、全く違う話に切り替わります。ここからずっとこんな感じ。ベースになっているものはあるけど、話自体はてんでバラバラです。二部は割とつながりがあるような印象を受けましたが、一部にはほんとに点としか言いようがないです。とりあえず好きなエピソード挙げときましょうか。一部で好きなエピソードは、Bobby-Socks、TravelingFreudです。

 

Self-Reference ENGINEには、人間以外のキャラクターが多く登場します。Bobby-Socksは、そのうちの一足…一人? まあ、数え方はなんでもいいでしょう。そういう存在です。突然靴下が喋り出すなんてと思いもしましたが、小説の中の、しかもSFの世界で人間以外が喋ることはさして珍しくないことですよね。このBobby-socksの話は、何というかこれまでの話と毛色が違って、穏やかというか幕間劇のような雰囲気が漂っています。可愛らしい見た目で野太い声を出す靴下ってだけでもう面白いのに、電気を消してくれって言うところとか面白さの塊としか言いようがない。この話、妙にコミカルなんですよね。実際にはただの靴下ってわけじゃないんですけど、靴下らしい存在と青年の掛け合いがたまらないです。文体も心なしか軽めで読みやすいし。こういう話が入ってるのも、本作の面白いところですね。

Trevelingを読んで、P-MODELの論理空軍を思い浮かべたのは私だけではないはず。正直、最初は文章を読んでも何やってるか分かんなくて、想像もできませんでした。読んでいくうちに論理空軍っぽいことに気づいてからは、あのPVを思い浮かべてイメージを膨らませることが成功いたしました。過去改変に次ぐ過去改変は、まさにRedoとUndoって感じですよね(Cando要素の見出し失敗)。もし、第三次なんちゃら大戦が起こるときには、こんな感じの戦闘が繰り広げられるのかなあ。さすがに、Trevelingほどの科学技術は発達してないか。

Freudは何なんだ! 分からん分からん! どういう意図であの話が入ってるのか、皆目見当もつかんわ! 床下から大量のフロイトが出てくるだと…? 何をどうとち狂ったら、そんな話が思いつくんだよ。世にも奇妙な物語の原稿がうっかり紛れ込んだんじゃないですかこれ。どう考えてもそういう類のやつでしょ。家族、親戚のフロイトを巡った掛け合いは面白くて好きなんだけど、それ以上に意味不明さが勝ってしまう。しかも、最後かっこよく締めようとしてるし。フロイトの心理学とかをかじってる人は、この話を理解することができるのかも。これは、考察見ないとほんとに分からない。見て分かるかも分からない。なんで強面のフロイトが22人もいるの…?

 

一部はなかなか癖の強い話が多くて大変ですが、二部は割と読みやすいんですよね。不思議なことに。多分、慣れてしまったんでしょうね。二部の好きなエピソードも挙げておきましょう。Contact、Yedo、Echoの3つです。

Contactでの人間は、もはやただの単語といっても等しいくらいです。このお話のメインは、巨大知性体なのですから。人間のはるか上を行く知性をもつ巨大知性体の、さらに上を行く自称アルファ・ケンタウリ星人の出現によって、あたふたする巨大知性体が見どころです。こういう言い方をすると私が嫌な奴っぽいけど、実際そういう風に感じたんだから仕方ない。自称アルファ・ケンタウリ星人は、超越知性体で、何重にも階層を下って言葉を伝えてるらしいですよ。もはや何を言ってるよく分かりませんが、コンピュータよりすごいようです。

そんな超越知性体の言葉に翻弄されて憤慨したり、自信を喪失したりする巨大知性体が人間味に溢れてて好きなんですよね。人間を凌駕する知性を持つ彼らに対して、人間らしいなんてことを言えば侮辱だと受け取られかねないですけど、もしそんな反応をしてくれたら、それこそ人間らしさの表れと言えます。超越知性体にのっとられていたヒルデガルドが提出したレポートによって、巨大知性体にも宗教的な流れが発生するのも面白いところ。初期の初期は人間の作った機械だから、そういう人間的な文化というか発想のようなものを無意識(機械に無意識とはこれいかに)のうちに模倣してしまうのかもしれません。

Yedoも巨大知性体の話です。これも幕間劇に近い位置づけだと勝手に思ってます。Yedoって何のことか分からなかったんですけど、これ江戸でしたね。江戸がこんな小賢しい表記になるとは…。超越知性体に対抗するにはお笑いだって考える巨大知性体もなかなかバグってる気がします。八丁堀とサブ知性体ハチの掛け合いがこれまたいいんですよね。八丁堀が結構冷静なので、その分ハチのリアクション大きくなってて、その対比が個人的に好きでした。最後の蕎麦屋を設定してやるところも、機械らしさと人情味を感じられていいですよね。

Echoはね~いいですよ~。砂浜で波に揺られる金属に、こんにちはと声をかける子供っていう構図がめちゃくちゃ綺麗ですよね。安易に使いたくない言葉ですけど、強いて言うならエモいって言葉がこの情景に合うんじゃないかなと思います。この言葉使いたくないんだけどね。科学者が増脳によって人か、あるいは人ならざる物質となり、思考の海に身を投げたっていう話も、SFらしさが詰まってて大好きなんですよ。私は、このエピソードが多くの点の中で一番輝いて見えました。これいいよね~。砂浜は、グランヴァカンスを思い出すので、無条件にポイントが加算されるようになっています。機械と砂浜って相性がいいんだろうね。

 

 

何だかんだあって話は終わらないけど、とりあえず一区切りのエピローグです。タイトルの意味やら何やらが語られますが、これまた首を傾げずにはいられない言い方で翻弄してきます。存在しないけれど語りかけることのできる存在とはいったい…? 残像みたいな感じなのかな。この存在しない存在によって、本作は一旦の終わりを迎えます。最後の最後に謎を微妙に深めて去っていくの厄介すぎる。あらゆる全てを語ることはできないというのは、全くもってその通りだと思います。私が、Self-Reference ENGINEを手に取ったことで、無数の点からかいつまんで展開し、エピソードを話してくれたという解釈でよろしいのでしょうか、分かりません。まあ、あらゆるものが理解できるとは限らないので、今はこれが私の限界です。いつか、その限界を越え、より多くの思考を本作から掬うことができるようになるでしょう。そのために、本を読み続けようと思います。読み終わった直後は混乱しかなかったので、このご立派な意志は後付けです。

 

この本も…という流れで分かりますが、ALTER EGOエスからおすすめされた本でした。エスに限らず、あらゆる存在は、私が認識している限り存在しているのではないかと考えます。ただ、認識していないから存在しないかと言われると微妙なところですよね。幽霊なんかは、直接認識したことがなくてもいるような気もするし、やっぱりいないかもしれない。ただ、幽霊という言葉、イメージを認識しているから、半分存在しているとも言えるのではないでしょうか。こういう話題は、一人だと考えるのが難しすぎるなあ。本当は、多くの人と意見を交わした方がいいんでしょうけど、こういうことを言い合える友人なんか存在しませんよ。私が認識してないんだから。違う時空の自分とかなら、もしかしたら意見を交わせたりできるかも。まあ、私は私だけなので、存在しない友人を時間かけて見つけていくことにします。これを投稿した時、私はパソコンの前にはいないかもしれません。それでは、さようなら。

 

今日のご飯 牛丼